伸びる」を追うほど、自分らしさが薄れていく気がする
Instagramのリールを作るたびに、頭の中ではいつも同じ問いがぐるぐる回る。
再生される動画を作りたい。
でも、自分が大切にしている世界観は壊したくない。
このふたつは、思っている以上に両立が難しい。
Instagramのリールを作るとき、やっぱり毎回考える。
これは伸びるかな。
最後まで見てもらえるかな。
保存してもらえるかな。
フォローしたいと思ってもらえるかな。
たぶん、リールを作っている人なら、誰でも考えることだと思う。
でも最近、あらためて思う。
伸びることだけを考えすぎると、自分が見せたかったものから少しずつ離れてしまうことがある。
私が大切にしたいのは、暮らしの中にあるコーヒーの時間。
自分の時間。
家族との時間。
友達との時間。
朝の一杯。
食後の一息。
本を読みながら飲む、少しぬるくなったラテ。
ストーリーでは、その日のことをそのまま載せる。
友達とのランチや、家族との会話、その日に見た景色。
でも、リール投稿は少し違う。
たった数秒で見られるか、飛ばされるかが決まる。
だから最初の1秒、2秒で何を見せるかを考える。
最近はラテアートにも挑戦している。
うまくいかないことも多いけれど、それが不思議なくらい楽しい。
ただ、ラテアートの練習ばかりを見せ続けると、これまで大切にしてきた「暮らしの中のコーヒー」という世界観から、少しズレてしまうかもしれない。
ラテアートが主役になりすぎると、技術の記録になる。
でも私が見せたいのは、その一杯が暮らしのどこにあるのか。
だから最近のリールでは、成功したかどうかだけではなく、
そのラテをどこで飲むのか、
どんな時間に飲むのか、
その周りにどんな空気があるのかを意識している。
今回は、いつもの動画の作り方も少し変えてみた。
ひとつの作業を1カットで見せるのではなく、2カット、3カットに分けて撮る。
注ぐ手元。
完成した一杯。
カップを持って移動するところ。
座って、飲む前の静かな時間。
今までのリールは、15秒から18秒くらいにおさめることが多かった。
でも最近は、30秒くらいのリールにも挑戦している。
ただ長くするのではなく、ひとつの物語になるように。
コーヒーを淹れる。
持っていく。
座る。
飲む。
その流れの中に、暮らしの空気を入れたいと思っている。
数字だけを見ると、短いリールの方が強い時もある。
爆発的に伸びたわけではない。
でも、見てもらえていないわけでもない。
マキネッタやアイスラテのように、何をしているかがすぐに伝わる投稿は届きやすい。
ラテアートも、成功や失敗が見えるから見てもらいやすい。
でも、私はそこに暮らしの余白を残したい。
ただ成功したラテアートを見せるのではなく、
その一杯を持って、少し場所を変える。
本を開く。
ひと呼吸する。
いつもの部屋の光の中に置く。
そうすると、ラテアートは技術ではなく、
暮らしの中にある小さな出来事になる。
リールを伸ばしたい気持ちは、もちろんある。
でも、伸びるためだけに作ってしまうと、自分が自分の投稿に飽きてしまう気がする。
だから今は、伸びることと、世界観を守ることのあいだで、少しずつ調整している。
数字を見る。
反応を見る。
でも、最後は自分の暮らしに戻す。
うまくいった日も、
思ったより伸びなかった日も、
誰かがそっと見てくれた日も。
その全部が、今の私の投稿の裏側にある。
伸びるリールを作りたい。
でも、私らしいリールでありたい。
そのあいだで揺れながら、
今日もまた、コーヒーを淹れている。


